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行政情報

草分時代

草分時代(1443年から1879年まで)

草分時代年表
西暦 年号 できごと
1433年 嘉吉3年 当町に初めて和人が来往した。
1450年 宝徳2年 中野館築館の上限と言われている。館主佐藤季則。
1457年 長禄元年 中野館コシャマインの乱で廃絶。
1625年 寛永2年 河野加賀源景広の勧声によって佐女川神社が建つとも言われ、元禄2年方3尺の祠を建てるにはじまるとの二説あり。
1644年 生保元年 生保御国絵図にキク内として和人地内に記されている。
1666年 寛文6年 僧円空、松前蝦夷地巡錫し鉈作りの仏像を残す。木古内佐女川神社、札苅西野神社、泉沢古泉神社に現存安置。
1668年 寛文8年 古泉神社、村中の勧請で泉沢に建立。
1690年 元禄3年 木古内の掛所を専念寺6世瑞玄が泉沢に復興し宝永7年(1710年)函館に移り浄玄寺となる。
1692年 元禄5年 西野神社札苅に建立。
1695年 元禄8年 釜谷に塩釜神社建立。
1723年 享保8年 泉沢に大泉寺建立。
1744年 延享元年 札苅地蔵庵建立(現在の洞泉寺)。
1786年 天明6年 幕史山口高品著の蝦夷拾遺に木古内知行主松本貢、戸数50戸弱、人口200人とあり。札苅、泉沢、釜谷-松前直領。
1799年 寛政11年 幕府の直轄地となる。木古内名主として山本長右衛門の名が見え、名主の最初。
1800年 寛政12年 伊能忠敬が木古内に宿泊し、箱館に向かう。
1802年 享和2年 南部藩の蝦夷地警備隊、野辺地より箱館に渡海の途中難破、建川の畑に墓石あり、60数名の潮海の性をしるしてあり。
1808年 文化5年 木古内山道を官の手で修理し、峠下に番所を置く。
1820年 文政3年 札苅に顕正により昌源寺建立。
1841年 天保12年 薬師堂建立。
1855年 安政2年 建有川より以東幕府再直轄、箱館奉行所を置いて管理する。
1858年 安政5年 大友亀太郎、新妻助惣の両名、開墾農夫取立方として木古内村開墾取扱を命ぜられる。
1859年 安政6年 越後より24戸の移民を募集し、中野、瓜谷を拓く。
1869年 明治2年 箱館戦争の木古内戦場となる。蝦夷開拓使が設置される。名主、年寄、百姓代、組頭等を置き、町村自治にあたらせた。
1871年 明治4年 9月20日(旧)咸臨丸泉沢サラキ岬沖で白石藩移民104名を乗せ、小樽に向かう途中遭難。24日の大シケで船体破損するも、乗船の移民1名を除き無事箱館に向かう。
1874年 明治7年 木古内郵便局開局。
1875年 明治8年 泉沢郵便局開局。
1878年 明治11年 木古内、札苅小学校開校。
1879年 明治12年 瓜谷、木古内の2村を併せ木古内村と称す。泉沢小学校開校。木古内、札苅、泉沢の3村をもって戸長制度を布き、役場を札苅村に置いた。

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