大釜谷3遺跡
大釜谷3遺跡は、縄文時代早期〜晩期の複合遺跡です。

調査では、中期と晩期の土壙墓群、前期・中期の住居址、晩期の埋設土器「合わせ口甕棺(あわせぐちかめかん)」や石組炉(野外炉)などが確認され、集落や墓域、狩場、季節的な作業場が推定されています。
貴重な遺構や遺物が発見されていますが、縄文時代晩期(亀ヶ岡文化期)の土壙墓群とその副葬品、埋設土器が注目されます。
出土した副葬品のなかで、「彩文籃胎漆器(さいもんらんたいしっき)」は貴重なものです。籃胎漆器の出土例として北海道では4例目ですが、この漆器は赤漆で彩文したもので、縄文時代の漆文化を考えるうえでの重要な資料です。
この土壙墓群や副葬品、彩文籃胎漆器の内容を次に紹介していきます。


籃胎漆器が検出された晩期の38基からなる土壙墓群は、土壙の形態が楕円形や方形を呈し、規模に大小などがあり、二つの墓域に分かれています。
ベンガラで赤く染まった玉砂利が堆積するものや木棺の施設を設けるなど、多様な埋葬方法が確認され、それに加えて多くの副葬品が出土しており、多様な人々の精神生活の一端が窺われます。
これらの有り様は、南西7km地点の「札苅遺跡」(東北・北海道を含めた亀ヶ岡文化期の集落構造をはじめて明らかにした遺跡として重要)と同様の居住区域が分離した墓域と考えられています。
出土した副葬品は、彩文籃胎漆器などの漆製品が10点、玉類は丸玉5点、垂玉2点の計7点(6点は翡翠(ひすい)製)、石鏃は1点、土器は破壊して副葬した可能性がある浅鉢の破片1個体分が出土しています。
籃胎漆器以外の9点の漆製品は、環状漆製品(耳飾り)、竪櫛状漆製品(髪飾り)、糸玉状や紐状の漆製品などで、装飾品と考えられています。
漆製品は、鮮やかな赤色をしており、顔料にはベンガラ(酸化第二鉄)や朱(硫化水銀)を使用しています。

籃胎漆器の製作は、漆液の採集、編組・漆工の技術などの融合した統合技術が蓄積される社会的背景があって創出されます。
軽くて丈夫な器としての生活用具、祭祀道具としての機能、さらに精神的現象や美的機能を持つなど、縄文時代の文化を示した象徴的遺物の一つでもあります。
墓の調査状況は、私たちに多くの情報をもたらしてくれます。
縄文時代の生活を精神的に支えた呪術行為を感じることができます。
人々は生と死、病気やケガ、天災などによる恐れや不安を解消するために呪術や祭りを行いました。

出土した翡翠の玉や漆製品は、色鮮やかな「青緑色」、「赤色」をしていますが、単なる器や装飾品に止まらず、葬送に際して神聖さや浄(きよ)めの意味をこめたのかもしれません。
埋葬形態や副葬品の在り方は、社会を構成する人々の共通の意識の習俗や伝習、儀式・祭祀などの精神文化が見られ、縄文文化を解明するうえで貴重な情報になっています。
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