きこない盆踊り
盆踊りは、年に一度この世に帰ってくる精霊を迎え、また送るための風習に発したものであり、盂蘭盆会を中心に寺の境内などで老若男女が参加して踊られていた。次第にその宗教的意味が薄れて一般化し、娯楽的なものに変化し、全国各地に固有の盆踊りが生まれ伝承されている。
踊りに対する伴奏方式も地方によって異なるが、きこない盆踊りのように大太鼓だけを配する盆踊りは津軽地方に特に多いことから、この地方から移入されたものと考えられる。
また、盆踊りの歌詞の字音数は七・七・七・五句形式が非常に多く、きこない盆踊りの唄もこの形式である。
また、歌詞についても津軽地方の盆踊りと類似している。
かつて古老達がアイヌの人々と一緒に漁労に従事していた頃いつとはなしに歌われてきた『ハオイ音頭』という民謡がある。
この唄の歌詞のなかに、木古内盆踊りについて記されている。
略~浜のまさごはよねしろ釜谷・つきぬ話の泉沢よ
チョイと腰かけ札苅村よ・木古内で盆し(す)りゃ死んでいいよ
そのくせ盆せば死にたくないよ~略
「木古内で盆すりゃ死んでいいよ」とは、当時の木古内の盆踊りの賑やかさと楽しさを物語っている。チョイと腰かけ札苅村よ・木古内で盆し(す)りゃ死んでいいよ
そのくせ盆せば死にたくないよ~略
古老の話によれば
「昔盆踊りは八月十三日から二十日まで踊り、夕方になると太鼓の音に誘われて老若男女がヤグラのまわりに集まり、毎日夜半まで踊り続けたものだ。
若い者は踊りながら薄暗い所まで来てさりげなく輪をぬけると、若い娘も後をついて行く。
木古内の盆踊カは若者達の交歓の場でもあった」という。
当時の盆踊りは、厳しい世情のなかにも人々に一時の癒しを与える唯一の場であったのかもしれない。
盆踊りの歌詞も人々の生活や心から率直に表現されたものが時代とともに数多く生み出され、その数は80以上に及ぶ。(下記参照)
近年は木古内の盆踊りを楽しむ人々が少なってきている。
先人から永く受け継がれてきた郷士芸能〝きこない盆踊り〝を絶やすことなく後世に語り継いでいきたい。
採譜/山本哲
きこない盆踊りの歌詞
うさもつらさも 踊りにとけて 月は薬師の ノー 山に照る津軽海から 朝日がさせば 花の薬師は ノー うす化粧
踊りうかれて 佐女川ほとり ヤナギすり合う ノー おぼろ月
帰らぬつもりで 木古内出たが 盆の太鼓に ノー もどされる
踊りつかれて うちわを入れりゃ ホタルちょと来て ノー 顔のぞく
歌って踊って 疲れて寝たら 大漁大漁の ノー 夢をみた
踊り踊るなら 前より後ろ 後ろ姿で ノー 嫁をとる
遠く離れて 逢いたいときは 月が鏡と ノー なればよい
盆の太鼓に つい浮か浮かと 月も浮かれて ノー 踊り出す
どんと響いた 太鼓の音で 町に平和の ノー 盆踊り
踊り踊るなら みなきてはやせ 年を忘れた ノー 夜じゃもの
わしの盆うた 天までとどけ 明日の沖出は ノー 大漁節
波のしぶきに 浜なす咲いた 可愛いあの娘の ノー ほほのよに
踊るふるさと 潮のほとり 波に浮かんだ ノー 帆も 軽く
踊る娘の たすきの姿 母もほほえむ ノー 月もみる
親父みてくれ あの娘の手振り イカをさかせりゃ ノー 二人前
木古内名物 踊りの姿 笑顔笑顔を ノー 月照らす
唄え唄えと わしばり責めて わしがいなけりゃ ノー だれ責める
咲いた花より 咲く花よりも 咲いてしおれる ノー 花がよい
親の意見と ナスビの花は 千に一つの ノー むだもない
盆の十三日 ほがいする晩(ばげ)だ 小豆強飯 ノー 豆もやし
来いとゆたとて 行かりょか佐渡へ 佐渡は四十九里 ノー 波の上
波の上でも 来る気があれば 船に魯(ろ)もある ノー 櫂(かい)もある
お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の ノー 生えるまで
思い出しては 写真をながめ なぜに写真は ノー もの言わぬ
想うて通えば 千里も一里 みんなあなたの ノー ためだもの
来こいちゃ来いちゃで 二度だまされた またも来いちゃで ノー だまされた
お前思いば 天気もくもる 天気くもれば ノー 雨となる
雨の降るのに わし通はせて ぬれた体を ノー だれがほす
うたの先生は いだがも知らぬ 一つうたいます ノー 恥をかく
こいの滝のぼり 何と言ってのぼった 身上あがれと ノー 言ってのぼった
私しゃ木古内 荒浜そだち 波も荒いが ノー 気も荒い
沖の暗いのに ランプが見える あれは紀の国 ノー みかん船
高い山から 谷底みれば ウリやナスビの ノー はなざかり
盆と正月 一度に来たら 私だいて寝て ノー カヤかぶる
あの山木かげの あの石灯籠は だれが寄進で ノー たてたやら
来たり来ないだり なぜきく野菊 どうせ来ないなら ノー 来ねばよい
他人(ひと)の女房と 枯木の枝は 登りつめだよ ノー 命がけ
踊り踊るなら しなよく踊れ しなの良い娘を ノー 嫁にとる
江差山の上を 鳴いて通るカラス 金持たぬで ノー カウカウと
ヤマセふかげで 松前わたり あとは野となれ ノー 山となれ
わしとお前は 羽織のひもよ 堅く結んで ノー 胸におく
声はすれども 姿はみえぬ 藪(やぶ)にうぐいすの ノー 声ばかり
せめてカモメの 片羽あれば 飛んで行きたい ノー 主のそば
沖のカモメが もの言うならば たより聞いたり ノー 聞かせたり
泣いてくどいて 義理たつならば わしも泣きます ノー くどきます
枯木見せかけ 花咲け咲けと 花が咲きます ノー 身が成らぬ
盆が来たとて 我が親来ない 谷地のみそはぎ ノー 我が親だ
咲いた桜に なぜこまつなぐ こまが勇めば ノー 花が散る
若い船頭衆の ソーラン節よ 浮気カモメも ノー 飛んでくる
差した杯 なか見て受けよ 中にツルカメ ノー 五葉の松
山で切る木は いくらもあれど 思い切る気は ノー さらにない
鳴いて飛びつく あの大木に 鳴いて別れる ノー 夏のせみ
月夜恥ずかし やみ恐ろしい おぼろ月夜の ノー 夜がほしい
ほれていけない 他国の人に 末はカラスの ノー 鳴き別れ
末はカラスの 鳴き別れでも 想うて苦労を ノー してみたい
昔なじみと つまずく石は 憎いながらも ノー 後を見る
窓の星さえ 夜遊びなさる わしの夜遊び ノー 無理もない
わしの病は 踊りの病 太鼓ドンとなりゃ ノー 寝てられぬ
上げたり下げたり 冷やかされたり ほんにつらいじゃ ノー はねつるべ
鳴くなニワトリ まだ夜が明けぬ 明けりゃお寺の ノー 鐘が鳴る
米のなる木で わらじを作る ふめば小判の ノー 後がつく
踊り上手な あの娘の姿 月も見とれて ノー 足とめる
あれ見やしゃんせよ 山吹の花 浮気で咲いたか ノー 実がならぬ
白さぎ見るよな 男にほれて カラス見るよな ノー 苦労する
花のさかりに しん止められて いつか咲くやら ノー 咲かぬやら
酒このむ娘は しんからかわい 飲んでクダまきゃ ノー なおかわい
わたしゃ木古内 荒浜育ち 声の悪いのは ノー 御免くれ
唄てはやしねが 何恥ずかしば ここは通りつ ノー 人がきく
晒(さらし)手拭い 来いの滝上り どこの紺屋で ノー 染めたやら
妾(わ)しゃ木古内の 十六ササゲ 誰に初もぎ ノー されるやら
泣いてうらむか 蛇になって呑むか 生きてお前の ノー 末をみる
咲いて口惜しい カタクリの花 小首かしげて ノー 山奥に
色でなやませた 生ナレ茄子(なすび) 中に口説きの ノー 種がある
思て通えば 千里も一里 会わずに帰れば ノー また千里
よせばよいのに 舌切雀(したきりすずめ) ちょいとなめたが ノー 身のつまり
一夜一夜に 浦島太郎よ あけてくやしい ノー 玉手箱
茶屋の二階から 釣り竿さげて どんなお客でも ノー 釣り上げる
実こそならぬが 山吹の花 色にまよわぬ ノー 人はなし
恋の九つ 情の七つ 情しらずの ノー 山鴉(からす)
かわいがられて 今死ぬよりも 憎いがられて ノー まぁーまぁーと
わしの道楽 カマスに入れて 叱る親父に ノー 背負わせたい
沖に色みえる いわしかさばか 若衆出てみれ ノー 色の鯖(さば)
恋の九つ 情の七つ 合わせ十六 ノー なげしまだ
立てばしゃくやく 座ればぼたん 歩く姿は ノー 百合の花
(※『きこない盆踊り』(昭和59年、木古内盆踊りの保存のを考える若者の会発行)を参考に編集)
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