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木古内町観光協会 > 歴史 > 木古内のむかしばなし

木古内のむかしばなし

きこないのむかしばなし
各地域に様々な人々の生活と歴史があるようにその風土のなかで生まれ、伝承されてきた特有の文化があります。
民話(昔話)もその一つで日常の喜怒哀楽の生活の中から生まれたものが多く、歴史の変遷とともに人から人へと語り継がれてきました。
こうしたことから民話(昔話)を通して当時の生活や人情をかいま見ることができます。
ここ木古内にも数多くの民話(昔話)が残されています。
平成12年に、「絵本サークル・ぐりぐら会」によって編集・発行された「きこないのむかしばなし」を紹介します。

百合子沢(ゆりこざわ)のお地蔵(じぞう)さま

札苅の山奥に,水がチョロチョロと流れているだけの小さな沢があり、
みんなはそこを「百合子沢」とよんでいました。
今から二百年ほど前のことです。
ある晩この百合子沢でとつぜん大きな山なりがしたかと思うと、地面がわれて、
そこからバラバラになった、たくさんのお地蔵さまが出てきました。
たまたま、木を切にいこうとそこを通りかかった村人が、
そのお地蔵さまを見つけました。
おどろいて、みんなに知らせ、それを村に持ち帰り、
ああでもない、こうでもないといろいろとつなぎあわせ、
やっと三体をこしらえあげて、みんなでまつることにしました。
その後、村人たちはこのお地蔵さまに着物を作って着せたり、
おそなえものをあげたりして、それはそれはたいせつに守りました。
とても風の強い日のことでした。
村はずれの家が火事になり、人々が大さわぎをしていたところ、
そこにとつぜん大きなお地蔵さまがあらわれました。
お地蔵さまはまわりに火もえうつらないように
大きな手で火をつつみこんでしまいました。
すると、どうでしょう。
あんにはげしくもえていた火があっというまにきえてしまったのです。
村人たちは、あまりにもとつぜんのできごとにびっくりしてしまいました。
そのことがあってから、村人たちはお地蔵さまのことが気にかかり、
みんなでお地蔵さまのところに行ってみると、
まん中のお地蔵さまの着物のりょうそでは黒くこげていました。
みんなは『きっと百合子沢のお地蔵さまが村をまもってくれたのだ」とよろこび、かんしゃしました。

キツネにもらったおもち

むかし、鶴岡のずっと山おくに、おじいさんとその家族が住んでいました。
ある日のこと、おじいさんは町でお祝いごとがあって出かけました。
「うんだば、ちょっくらいってくる」と、外で仕事をしているおばあさんに声をかけ山道をおりて行きました。
お祝いのせきには、たくさんのめずらしいごちそうやお酒が出て、すっかりいい気分になりました。
帰りには、おみやげのおもちまでもらって、とてもよろこんで、家へとむかいました。
日もくれて、帰りの道を一杯気げんで歩いていたところ、
山のほうでもお祝いごとだといって、おおぜいの人が集まってさわいでいました。
そのなかのひとりが、おじいさんを見つけ、「じいさんや、一杯のんでいかねえか」と、よびとめました。
おじいさんがよばれて行ってみると、
今まで見たこともないようなごちそうやお酒がどっさりとありました。
おじいさんはそこでもまたごちそうになり、
町でもっらたのより、ずっとたくさんのおもちをもらって、いっそういい気げんで家にたどりつきました。
家では、おじいさんがおみやげをもって帰るのを、たのしみにして、みんなでおきてまっていました。
おじいさんはさっそく、みんなにおもちを食べさせようと、つつみをあけました。
なんとびっくり、もらってきたおもちが、ぜんぶ大きなはっぱにくるまった『馬ふん』になっていたのです。
おじいさんは「どんだば、キツネさもぢっこぐりっと、ふんだくられで」(※1)と
家族のみんなに、わらわれました。

※1「どうしたの、キツネにもちを全部とられてしまって」

キツネといっしょにすごした女の子

むかし、願応寺のそばに、まあるい井戸がありました。
その近くになかのいい姉妹が住んでいて、いつもふたりで井戸の水をくみにいっていました。
ある日の夕方のこと、いつものように姉は水をくみ、妹はささ原で遊んでいました。
水くみをおえた姉は、家に帰ろうとしてあたりを見まわしましたが、
妹のすがたはどこにも見あたりませんでした。
『たぶん先に帰ったのだろう』と思い急いでもどってみましたが、妹は家にもいませんでした。
姉は心配になり、あちらこちらをさがしまわりましたが、どこにもいませんでした。
近所の人たちも心配し、てわけをして村中をさがしましたが、
どこに行ってしまったのかまったく見あたらず大さわぎになりました。
『これだけ村中をさがしてもいないなら、山のほうかもしれない』ということになり
萩山から薬師山にかけてガンガンをぼうでたたきながら、みんなでさがしました。
それから一日、二日とさがしましたが、何ひとつてがかりもなく見つけることができませんでした。
三日目の夜には、雨がひどくふり出し、不安はいっそうつのるばかりでした。
次の日の朝、ゆうべの雨はうそのようにはれあがり、また山をさがすことになりました。
薬師山までくると、遠くのほうから何か聞こえてきました。
耳をようくすまして聞いてみると、「ねっちゃん」と、よぶ声がしたのです。
人々は『もしや』と思い、その声のするほうに急いで行ってみると、
さがしつづけていた女の子が、なきながら姉をよんでいました。
ゆうべ、あんなにひどい雨がふったにもかかわらず女の子の着物は少しもぬれていませんでした。
村人は、不思議に思って聞いてみると、
「おらあ、ねっちゃんときたんだ」
「ねっちゃんとか」
「うん。ずっといっしゅだったんだ」と、言いました。
「ねっちゃんは、家にいたのになあ」
「おかしいなあ・・・・・」と、みんなは口々に言いました。
そして、女の子をだきあげてみると、着物にはキツネの毛がいっぱいついていました。

油あげを取られたとうさん

むかし、鶴岡にどっさりと雪がふった日のことです。
用事があり町に出たとうさんは、帰りにかあさんにたのまれた油あげを買い、
ついでにその店でお酒を一杯ひっかけて、ほろよい気分で店をでました。
雪が多いため、道らしい道がついていないので、歩くのがとても大変でした。
それでもとうさんは、雪をかきわけながら歩いていきましたが、
歩けど歩けどいっこうに家につくことができなかったのです。
そのうえ、どこをどう歩いたのか、気がつくといつのまにか川の浅瀬を歩いていました。
あわててもとの道に出ようとするのですが、
どうしたことか、また川の中を歩いているのです。
そんなことを何回もくりかえしているうちに、体がすっかりひえきってしまいました。
つかれはてたとうさんは、どうして道に出られないんだろうと不思議に思いましたが、
『そういえば、二、三日前にキツネをみたな。
そうだ、あのキツネがおれの持っている油あげをとろうとして、だましているんだ』と、気がつきました。
そこでとうさんは、「もうだますな。油あげをやるから」と、大声でさけびました。
するとどうでしょう。
手にもっていたはずの油あげが消えてなくなっていました。
キツネに油あげを取られたとうさんはすっかりよいもさめてしまい、
しょんぼりとして家に帰りました。
かあさんにその話をすると「よっぱらって、あるいているからさ」と、
おこられてしまいました。
油あげを取られたとうさん

円空仏の由来

現在の岐阜県に円空法師(※1)というお坊さんがいました。
円空法師は修行のために全国を旅して歩きました。
その旅先で円空法師は仏像をつくり、神社などに奉納(※2)ました。
奉納した数は全国に十二万体といわれています。
寛文六(一六六六)年には、小さな船で津軽海峡をわたり、松前町におり立ちました。
洞爺付近までの足跡がのこされており、約三年間にわたり道南のほとんどの町を訪れ仏像を作り、
現在確認されているだけで三十四体あります。
木古内町、知内町、上磯町(現在は北斗市市)などにも円空法師の仏像が残されています。
木古内町には、佐女川神社、西野神社(札苅)、古泉神社(泉沢)にまつられています。
円空仏は、ご神体の魂がやどっている御霊代(※3)であるため、お寺ではなく神社に
奉納されているのです。

※1・・・寛永九(一六三二)年美濃国中島郡上中島村(現在の岐阜県)の生まれで天台宗寺門派の僧侶
※2・・・神仏に喜んでもらうための供え物や舞、踊りなど
※3・・・神様自身は目に見えないため、人の目に見えるように像などにしたもの

神のお告げと火事

今から百年ほど前に釜谷であった話です。
その日はとても風も強く海もしけたので、
着場の若者たちは海に出ることができずにぶらぶらしていました。
それを見ていた網元は
「おまえらは暇そうだな。まあ、たまに休むのもいいだろう。もらいものだが、
これで一杯飲めや」と、鹿の肉を若者たちにわたしました。
喜んだ若者たちは、いつも集まる釜谷神社に行き、
境内で火をおこして、大きな鍋で肉を煮はじめました。
風が強くふき、そのうえ寒かったのでいつもより酒がすすみ、
歌などもとび出すほどのもり上がりようで、
近くの木に火の粉が燃え移ったことさえも気づかずにいました。
しばらくして木がめらめらと燃えているのが見え、やっと若者たちは一大事に気がつきました。
「大変だ、火事だ!神社に燃え移るぞ」
みんなはあわてて近くの川から水をくみ火を消そうとしましたが、
どんどんと燃えひろがっていき、どうにもできなくなってしまいました。
強い風にあおられた火はますます勢いを増し
あっという間に川の向こうまで燃え移りり、村中が大騒ぎになりました。
こんな騒ぎがあったことを知らず、たまたま町に出かけていた神社の氏子総代のところに突然神さまがあらわれ、
「我が社のそばなれば、全力をつくして守ったぞよ」とのお告げがありました。
氏子総代はその言葉が気にかかり、急いで町からもどってみると、
神社は跡形もなく焼け落ち、そのうえ川の向こうまでもすっかり焼け野原になっていました。
しかし、こちら側の部落は神社が燃えただけでみんな無事でした。
これを氏子総代は『神のお告げの通りだ』と納得し、
早速この話を村人たちに教えました。
それを聞いた村人たちは不思議な出来事に驚きもしましたが、また感謝もしました。

木古内の湯殿山

もともと湯殿山は、月山・羽黒山とともに出羽三山の一つです。
大昔から山を神さまとしてまつり、
社殿などの建物はつくらずに温泉などが出る大きな岩をご神体としていたのです。
木古内の湯殿山のもともとの神社は青森県の津軽にあります。
この青森県の湯殿山は岩からお湯がわき出ています。
この温泉に入ると子どもに恵まれたり、いろいろな病気が治ったりするので、
ご利益があると人々から信じられていました。
底には今でも病気を治すためにたくさんの人が訪れています。
木古内の湯殿山は、
中野に住む茂泉家のおばあさんが湯殿山の神さまをわけてもらったのが始まりです。
このおばあさんは青森県出身の人手、湯殿山の熱心な信者でした。
木古内に来てからも自分の家の向かいの杉山に神社をつくり、
毎年九月十五日には、佐女川神社の神主さんに来てもらいお祭りを行っていました。
そのおばあさんは今は亡くなってしまい、
現在は佐女川神社の本殿の中にこのご神体が御霊代(みたましろ)として他のご神体とともにまつられています。
また、木古内にはもう一つの湯殿山があって、それは瓜谷にある神社の横の小さなお堂にまつられています。

あまばんの由来

今から七十年ほど前の春、ひどく海がしけた日がありました。
その次の日のことです。
釜谷の海岸に畳一枚くらいの大きさのあまばん(※1)が打ち上げられていいました。
偶然そこを通りかかったイタコ(※2)がこれを見つけ
「このあまばんは『イワナが姫』といって、安産の神さまで大変ご利益があるので、
この村の神社にまつりなさい」と言いました。
漁師たちはこの話を聞いて、さっそくこのあまばんを塩釜神社にまつりました。
現在でもこのあまばんは塩釜神社にまつられています。
長い年月がたったため、畳一枚ほどのおおきさだったものが
今では風化して小さくなってしまいました。

※1・・・磯の岩が欠けて板状になったもの
※2・・・死んだ人の言葉を伝えてくれる人

更木の鼻なし地蔵

むかし更木岬の沖では、毎年のように船が遭難し、たくさんの人が亡くなりました。
あまりにたくさんの人が亡くなるので、
ある村人が遭難した人たちの供養をするため、お地蔵さまをつくりました。
それなのに、遭難する人たちは後を絶ちませんでした。
どれぐらい月日がたったでしょうか。
旨で遭難にあい、やっとの思いで助かった人たちの間で
「俺たちはまるであの地蔵に引き寄せられているような気がする」
「遭難した人たちを供養するためにたてたのに、どうしたことだ」
というような話が出はじめました。
船乗りたちは次第にこのお地蔵さまのことを悪く言うようになりました。
ある時、また更木岬で船が座礁しました。
この船の船頭さんは、お地蔵さまの噂を知っていたので、
「船が座礁したのはきっとこのお地蔵さまのせいだ」と思ったのです。
そこでこれを壊そうと、持ってきた斧を手にお地蔵様めがけて力いっぱい振りました。
でも、お地蔵さまの鼻が少し欠けただけでした。
それから人々は、このお地蔵さまのことを『鼻なし地蔵』と呼ぶようになりました。
このお地蔵さまは、今でも札苅小学校(※1)の裏の公園にあります。

※1・・・現在は廃校となっています。

人の名前をよぶキツネ

昔、更木に仲のいい夫婦が住んでいました。
漁師をしている旦那さんは、いつも夜中に漁に出て、朝がた帰ってきていました。
家に帰ると、かならず戸口で「タカ、タカ」と奥さんの名前をよんで、戸をあけてくれるまでじっと待っていました。
この家の近くに笹原があって、そこにいるキツネが、そんな二人をいつも見ていました。
ある日のことでした。
まだ夜も明けないころ、戸口から「タカ、タカ」とよぶ声が聞こえてきました。
奥さんは、いつものように旦那さんが帰ってきたのだと思い急いで戸を開けました。
しかし、そこにはだれもいませんでした。
ただ、空にはまんまるい月が出ていて、笹がさびしげに風にゆれているだけでした。
『おかしいな、そら耳だったのかな』と思いながら奥さんは部屋にもどり、ふとんに入りました。
明け方になると、また「タカ、タカ」とよぶ声がしました。
『また、そら耳かな』と思いましたがあまりにもうるさく呼ぶので、
戸のそばまで行ってみました。
そして、そおっと戸をあけてすきまからのぞいてみると、
なんとおどろいたことに戸口のそばにキツネがいて、「タカ、タカ」とよんでいるのでした。
いつも仲のいい二人を見ていたキツネが旦那さんのまねをして、奥さんをからかっていたのです。

更木にあらわれたキツネ

泉沢と釜谷の浜の境に『更木のさき』とよばれる谷内があり、キツネがよくあらわれ、
人がだまされたという話がたくさんあります。
昔、札苅・泉沢・釜谷に住むこどもたちは、鉄道がとおってからも、
泉沢の小学校までみんなあるいて通っていました。
そのころ釜谷のはずれに、炭焼きをしている一家が住んでいました。
この家には、年の近い姉妹がいて、二人はやはり小学校まで歩いて通っていました。
いつものように学校から帰る途中、姉妹は更木のあたりで、
見知らぬ若い男の人が、二人を『じっ』と見つめているのに気がつきました。
男の人は二人に向かって、ゆっくりと手まねきをしました。
ふだんは男の子と話もできないほど、おとなしい二人でしたが、
この時はまるで何かにとりつかれたかのように、男の人の方へと歩き出しました。
けれども、どうしたものか歩いても歩いても男の人のところに、少しも近づかないのです。
二人が男の人の後をずっと歩きつづけているのに、
なぜかとつぜん男の人が目の前から『ぱっ』ときえていまいました。
二人きりになった姉妹が気がついたときには、
道など全くない更木のうっそうとした草わらに、ポツンと立たされていました。
この姉妹は、それからも何度となく、キツネにだまされたものでした。
そして、あたりを見まわすと、キツネがほった穴が、必ずたくさんあったのです。
このの話は村中にひろまり、高等小学校の女の子たちは、帰りが遅くなった時は、
同級生の男の子と一緒に帰ったり、家族の人に途中まで迎えにきてもらったりしたということです。

追いつかない自転車

今から四十年ほど前の、ある秋の夕方のことです。
釜谷に住んでいる父さんが、母さんに急ぎの買い物をたのまれて、
泉沢の店まで自転車で行くことにしました。
父さんは、でこぼこ道をえっちらおっちらと、自転車をこいで行きました。
更木までくると、父さんの前を自転車に乗っている人が見えました。
日も暮れて、道ばたのススキがさびしそうにゆれる音を聞くと、
父うさんは心ぼそくなり『前の人においついていっしょに行こう』と思いました。
父さんは、一生懸命に自転車をこぎましたが、前の自転車になかなかおいつきません。
きっと、前の人も暗くなってきたから急いでいるんだろうと思い、また夢中になって自転車をこぎました。
しかし、いくらがんばってこいでも、前の自転車に追いつくことができないのです。
『おかしいなあ』と思いましたが、それでも自転車をこぎつづけました。
そうしているうちに泉沢の店についてしまいました。
父さんは、母さんに頼まれた品物を買いながら、
店の主人に、「少し前にすごい勢いで自転車に乗った人が通って行ったろう」と、聞きました。
店の主人は、「いいや、自転車は一台も通らなかったよ」と、言いました。
それを聞いて父さんは『さっきまで前を走っていた自転車はどこに行ったのだろう』と不思議に思いました。
「たしかに更木のあたりからずうっと前を走っていたんだ。
その自転車においつこうとがんばってこいだけど、とうとうおいつかなかったんだよ」と、主人に話しました。
「更木のあたりからかい。あそこらへんは、キツネが多いからね。
たぶん、キツネにふりまわされたんだろう」と、笑われてしまいました。

おどる さんこキツネ

今から百年ほど前のことでした。
月がこうこうとてっている夜、町で用事をすませたおばあさんは、
自分の家へといそいで歩いていました。
ちょうど大平橋(そのころは土の橋)のそばまで来たところ、
前のほうで何かがしきりに動いているのが見えました。
おばあさんは不思議に思い、目をこらしてじっと見つめていました。
よく見ると、手ぬぐいでほうかぶりをしたネコが、
なにやら楽しくおどっているではありませんか。
月にうつし出されたネコの毛は、キラキラと銀色にかがやいて見えました。
そして、足どりもかろやかにおどりつづけているのです。
「こりゃあ、たまげた。みんなをつれてこよう」と、
おばあさんは大急ぎで村へ帰って行き、今見てきたネコのことを話しました。
おばあさんは、自分の話をなかなか信じてくれない村人たちを橋のところまで引っ張ってきました。
ネコはまだ、楽しげにおどりつづけていました。
それを見た村人たちは、「ばあさんや、ありゃネコじゃなくて、キツネじゃないか」
「いやあ、ネコだべ」と、おばあさんは言いはるのです。
おばあさんにはネコに見えるのですが、
見る人によっては、ネコだったりキツネだったりで、不思議不思議・・・。
しだいに見物の人もふえてさわぎが大きくなると
夢中になっておどっていたネコも人に気がつき、どこかへとにげて行ってしまいました。

真夜中におきて ごはんをたいた父さん

更木の山奥に、ひとりで炭やきをしながら、くらしているとうさんがいました。
とうさんの家はとても小さく窓もなく、
中はいつもうすぐらくて夜なのか昼なのかわからないほどでした。
とうさんは毎日、鳥のさえずりで目をさまして、
朝早くから日が暮れるまでいっしょうけんめい働いていました。
ある夏の日のことです。
その日もとうさんは一日の仕事をおえ、さっさと夕はんをすませふとんに入りましたが
少しねむったと思ったら鳥の声が聞こえて目がさめてしまいました。
とうさんは『朝になるのがずいぶん早いなあ』と思いましたが、
ひどくつかれていたのできっとぐっすりねむったのだろうと思い、起きることにしました。
いつものようにごはんをたき、朝ごはんをすませ、外に出てびっくりしました。
なんと、外はまだ真っ暗で、まだ夜が明けていませんでした。
『あれっ?さっきたしかに鳥の声がしたのに夢だったのかなあ』と、思いながら家に入りました。
しかし、どうしても気になって、もう一度戸をあけて外を見ました。
目が暗やみになれたせいか、あたりがいくらか見えるようになりました。
そこでよく見ると、近くの林の中にキツネがちょこんとすわっていました。
「あれ、もしかしたらあそこにいるキツネにだまされたんだべか。しかたねえな、もういとねむりすっか」
とうさんはにがわらいしながら、またふとんにもぐりこみました。
そんなことがあってから、とうさんは家に窓をつけました。
そして、それっきりキツネにだまされて、真夜中に起きて、ごはんをたくことはありませんでした。

不思議な火事

これは戦争が終わってすぐのころ、泉沢であった話しです。
あるはれた秋の日、家族みんなで長いもほりをしていたときのことです。
ほったいもをせっせとかごに入れ、汗をかきながらはたらいていました。
かあさんが手をやすめ、なにげなく更木のほうに目をやると、
空がまっかにもえているのが見えました。
かあさんは、びっくりして、「あっ、火事だ!」と、さけびました。
その声につられて、他のみんなも、かあさんのゆびさすほうを見ると
赤々と燃え上がる大きな炎が見えました。
それは、何けんもの家が、燃えているようでした。
「どこの家がもえているんだ」と、さけびながら
みんなはほった長いもを畑にほっぽりだしたまま更木のほうに向かい走り出しました。
しかし不思議なことに、いくら走っても走っても、
火の出ているところにはたどりつけませんでした。
そしてほのおがいっそう大きくもえあがったかと思った瞬間、「パッ」ときえてなくなってしまいました。
「あれ、おかしいなあ」
「たしかに火事だったよなあ」
「あっちのほうに見えたのに、ちがったのかなあ」と、
みんなは口々に言いながら、また畑へともどってきました。
すると、そのあたりにはキツネの足あとがいっぱいついていました。
不思議な火事

とうきび畑できえたごちそう

むかし、木古内の前浜でイワシがたくさんとれたころの話しです。
この日も大漁だったので、前浜に住むとうさんは、
友だちの家でお祝いをすることになりでかけました。
飲めや歌えやのうたげで、それはそれは楽しいものでした。
とうさんは、すっかりいい気持ちになって友だちの家を出ると、
あたりはもう暗くなっていました。
おみやげにもらった、紅白のおまんじゅうやお頭つきの魚など
たくさんのごちそうが入ったふろしきづつみをさげてふらりふらりと自分の家へと向かいました。
とちゅう、とうきび畑の前を通りかかったころ、近くに住む女の人が立っていて
「ちょっと、とうさん。あたしの家でいっぷくしていかないかね」と、声をかけてきたので、
とうさんは「姉さん、あんたはまだねむくないのか」と聞くと、
女の人は「いやあ、まだねむくないんだ」と、言いました。
そこでとうさんは、女の人の家にあがりこみ、またごちそうになりました。
友だちの家でもごちそうになってきたとうさんは、
おなかがいっぱいでついついねむりこんでしまいました。
そうしてぐっすりねむっていると
「とうさん、ここでなにやってるんだ」と、いう声がしました。
目をあけると、もう朝になっていて、
とうきびをもいでいる人が不思議そうに、とうさんをのぞきこんでいました。
とうさんが、座敷だと思ってねていたところはなんと、
とうきび畑のまん中だったのです。
とうさんは『はっ!』としてふろしきの中をのぞいてみると、
あんなにもあったごちそうが跡形もなく消えていました。
そして、とうさんのうでには、キツネのひっかききずがたくさんついていました。

いやしいキツネ

木古内と札苅のあいだに、蛇内(へびない)というところがあります。
むかし、この場所には『よくキツネが出る』と言われていました。
札苅から木古内にかけて「ゆたかそば」とよばれる、とてもおいしいそばと、
魚を売り歩いている男の人がいました。
その男の人は、雨の日も風の日も、毎日毎日、朝から晩まで休むことなくはたらいていました。
ある日の朝、男の人はいつものように、ゆたかそばと魚をたくさんざるに入れて売りに出かけました。
ちょうど蛇内にさしかかったときのことです。
ささやぶの中から、とつぜんキツネが出てきて身じろぎもせずに『ジ~』と男の人を見ていました。
男の人は気味が悪くなり、いそいでその場を立ちさろうとしました。
ところがどうしたことか、かなしばりにかかったようにからだを動かすことができず、
声すらも出すことができないのです。
身動きできないまま、じっと立ちつくしていると、
やがてキツネは何ごともなかったように、山のほうへ行ってしまいました。
そのしゅんかん、からだが急にかるくなり身動きもできるようになったので、男の人はほっとしました。
なんだか荷物もかるくなったような気がしましたが、
まだ頭がボ~ッとしているせいだと思い、気にかけずその場を立ちさりました。
やがて木古内に着いた男の人は、さっそく商売をはじめようと思い、
ざるのなかを見ると入っていたはずの豊かそばと魚が一つもありませんでした。
『これは、いったいどうしたことだ』としばらく考えこんでいましたが
「そうだ。きっと、あのときキツネにとられたんだ。これじゃ今日の商売あがったりだ」と、くやしがりました。
そして、『ようし、今度はぜったいにだまされないぞ』と心にきめて家に帰りました。
その後、この男の人は、とちゅうでキツネに出会ってもだまされることなく、
無事に木古内に着いて行商(※1)をして大変もうけたということです。

※1・・・・店を持たないで、商品を自分で持って売り歩くこと。

キツネの嫁入り

雨が、しとしとふる日のことです。
あたりが薄暗くなりはじめたころ、
薬師山の中ほどに、あかりがひとつポツンと見えたかと思うと、
またひとつ、またひとつと、その数は、どんどんふえていきます。
しまいには、かぞえきれないくらいのあかりが、
薬師山から萩山のほうにかけてつらなり
さらに、萩山から大平へと、行列をつくってすすんでいくのです。
けれども、そのあかりはいつのまにか消えてしまい、
山はいつものように真っ暗になってしまいます。
これは、年頃になったキツネが、ちょうちんをもった大勢のキツネたちに見守られながら
『お嫁』になって行くときの、行列と言われます。
遠くから見たこの『キツネの嫁入り』のあかりは、
それはそれは美しいもので今から四十年ほど前まではよく見ることができたそうです。

※この話の中のちょうちんというのは、キツネのしっぽがすれ、骨が出ているためリンが発生して光っているとも言われています。

イワシをだましとられた娘さん

むかし、佐女川神社が願応寺のとなりにあったころの話しです。
家族がたくさんいるため生活が苦しく、
毎日まんぞくな食事もとれないでくらしている家がありました。
その家族のなかに、十五、六ぐらいの年になる娘さんがいて、
家を助けようと近くの大きなお屋敷にお手伝いに通っていました。
初雪がうっすらとふった朝、
そのお屋敷では親せきの家からたくさんのイワシをもらいました。
お屋敷のおくさんは「うちは、二、三匹あるだけでいいから、あとのは持って帰って家の人たちと食べなさいね」と、
残りのイワシをみんな娘さんにあげました。
娘さんは『ひさしぶりに家族にお腹いっぱいイワシを食べさせることができる』と、
とてもうれしくなりました。
夕方、一日の手伝いも終わり、もらったイワシを竹かごに入れて急いで家に帰ろうと、戸をあけて外へ出てみると、
いつふったのか雪がたくさんつもっていました。
『朝はそんなに雪がふっていなかったのに、へんだなあ』と思いながらも、
雪で歩きづらくなった道を家へとむかいました。
ところが、どうしたことでしょう。
いくら歩いても歩いても、なぜかまた、とちゅうにある佐女川神社の前にきてしまうのです。
娘さんは不思議で、何がなんだかわからなくなってしまい、
神社の境内に立ちつくしてしまいました。
ちょうどそこへお屋敷のご主人が通りかかり、「おい、何やっているんだ、こんなところで」と、声をかけました。
娘さんはぼうっとして「どうしたもんだか、なんぼ家に帰ろうとしても、同じところをぐるぐるまわってばかりでかえれないんだわ」と、
泣きそうな声で言いました。
それを聞いてご主人は「そりゃあ、おまえ、きっとキツネにだまされたんだ。
ここらへんは、キツネがたくさん出るんだぞ」と、言いました。
娘さんがあわてて竹かごの中を見ると、
たくさんあったイワシが一匹のこらずなくなっていました。

さんこキツネ

むかし、札苅でイワシがたくさんとれたころの話しです。
木古内に住む、あるとうさんが、イワシを買うため札苅まで出かけました。
とうさんは家からもってきたカゴいっぱいにイワシを買って、
もときた道を木古内へともどりはじめました。
西の空も赤くなり、人かげもまったくなくさびしい大平にさしかかったときのことです。
前にきれいな着物を着て、手ぬぐいでほおかぶりをした女の人が立っていて、
とうさんにむかって手まねきをしているのです。
とうさんは『なんだろう』と思いながら近づいてよく見ると、
手ぬぐいのはしをこいきに口にくわえ、
きれながのすずしげな目をしたすごい美人が立っているではありませんか。
とうさんは、あまりの美しさに見とれていると、
女の人はにっこりとほほえみかけ
『いらっしゃい、いらっしゃい・・・・』と手まねきするのです。
とうさんは、まるでまほうにかかったように、
女の人のうしろをついて行き家のなかにまねき入れられました。
大きなおまんじゅうをすすめられ、むしゃむしゃと食べ、
とてもおなかがいっぱいになりました。
そのうえ、こんどはおふろをすすめられ、
女の人に背中まで流してもらいとてもいい気もちになりました。
ゆぶねにつかるながら、うとうとしていると、
とつぜん「おいおい、どうしたんだ」と、いう声が聞こえてきました。
とうさんは『ふっ』とわれにかえり、あたりを見まわすと夜だとばかり思っていたのに、
もう日がすっかり高くのぼっていました。
おまけに、おふろだと思って入っていたのは『肥だめ』だったのです。
そして、あたりいちめんは、おまんじゅうだったはずのたくさんの『馬ふん』がおちていました。
それを見てとうさんは、びっくりしてしまいました。

※むかし札苅から大平にかけて、
さんこキツネという銀色の美しい女ギツネが出てよく人をだましては、
もっていた魚を全部とってしまったというのです。
だまされた人は、次の日、だれかに声をかけられるまで気づかずに
さんこキツネにだまされつづけているのでした。

なくなった油あげ

なくなった油あげ
昔、建川の人里はなれたずっと山奥に、おばあさんが住んでいました。
ある冬の寒い日のことです。
おばあさんは、いつものように夕はんのしたくをしようと台所に立ちましたが、
みそしるに入れるつもりで買っておいた油あげがないのに気がつきました。
『確かにここにおいといたはずなのに・・・・』と思い
その辺をさがしましたがどこにもありませんでした。
でも、おばあさんは、どうしても油あげのみそしるが食べたくて、
町の店までわざわざ買いに出かけました。
店で油あげを買い、暗くなりかけた道を急いで家へ向かおうとしたおばあさんはどうしたことでしょう。
方向のちがう鶴岡の方へむかって、どんどん歩いて行くのです。
いつのまにか、鶴岡神社のあたりまで来ていました。
その時、むこうの方にあかりが見えて、
おばあさんはそれに引き寄せられるようにして、一けんの家にたどりつきました。
その家の庭先に来たとたんおばあさんは
『いったいここは、どこなんだべ。なんでこんな所へ来たんだべなあ。あれ、油あげもない・』と、
不思議に思いながら、あたりをきょろきょろと見回しました。
けれども、日はどっぷりとくれ、空には星がさむざむと、かがやいているだけでした。

人っこをよぶキツネ

それは、戦争が終わってすぐのことです。
そのころ、泉沢の大泉寺のあたりは一面の笹原でした。
家もなく、夜になると風にふかれた笹が、ざわざわと音をたて、
それはそれはさびしいところでした。
ある日のことです。
大泉寺に住むかあさんが、台所で茶わんをあらっていたら、
とつぜん「あっちゃーん」とよぶ声が耳に入りました。
『あらっ、おばあちゃん、なにか用事でもあるんだろうか』と思い、
台所のかたづけをそこそこにして、おばあちゃんのところへ急いで行ってみました。
「今呼んだの、おばあちゃんかい」と、針仕事をしているおばあちゃんに聞くと
「えっ、なにもよんでないよ」と、言いました。
かあさんは『それなら、さっきよんだのは、いったい誰だったんだろう』と不思議に思いましたが、
おばあちゃんは何事もなかったように
「このあたりは、昔からよくキツネが出て、人っ子を呼ぶんだよ」と、かあさんに言いました。

まきぞえをくった とうさんたち

それは猛吹雪の寒い日のことでした。
建川に住んでいるというとうさんが待ちに出かけ、
用事が終わったあと酒屋で、お酒をのんでいました。
そこに偶然、親戚のおじさんが入ってきたので、一緒に帰ることにしました。
暗い夜道で吹雪はますますひどくなり、一寸先も見えなくなりました。
やっとの思いで新道神社(※1)のあたりまで来ると、
後ろからだれかが近づいてくるのに気がつきました。
よく見ると、近くい住んでいる兄さんで、背中には大きなガンガンをかついでいました。
「やあ、兄さん、ひでえ吹雪だなあ。こんな日に何をかついでいるんだ」と声をかけると
「うん、サバをもらって家に帰るところだ。それにしてもひでえ吹雪だなあ」と答えました。
兄さんの家はとうさんたちの家の途中なので、二人は心づよく思一緒に歩きはじめました。
しばらく行くうちに、とうさんは兄さんの進む方角がどうも違うような気がしました。
でも二人の前を歩いている兄さんは、どんどんと先に行ってしまい、
とうとう見えなくなってしまいました。
しかたがないので、とうさんたちは、また二人で行くことにしました。
吹雪はいくらかおさまり、つかれてしまった二人は、
ひと休みしようと雪の上に腰をおろしました。
そのとき、汽車の明かりが、遠くにかすかに見えました。
それを見てとうさんが「あれ、松前線の汽車じゃないか」と言うと、
おじさんは「いや、あれは江差線だよ」と言い、また歩き出しました。
とうさんは何となく違うように思ったのですが、おじさんの後をついて歩きました。
しかし、行けども行けども、一軒の家も見えないのです。
そうしているうちに、道の両側の畑にたばになったとうきびの穂がおいてあるのが見えました。
すっかり疲れてしまった二人は、またここでも休むことにしました。
しばらく休むと、疲れもやわらいだので、二人はまた歩き出しました。
でも、不思議なことにそこは建川の川べりだったのです。
とうさんたちは、ようやく自分たちのいるところがわかり、
無事に家に着くことができましたが、もう夜中の十二時近くでした。
なんと夕方から夜中まで、何時間もさまよい歩いていたことになります。
次の日とうさんは、途中までいっしょに歩いてきた兄さんが
無事に家に着いたのかどうか心配で家に行きました。
兄さんもやはりどこをどう歩いたのか、家についたのは十二時過ぎで、
背中にかついでいたガンガンとサバはどうしたものか無くなっていたそうです。
きっと、キツネが兄さんをさまよわせて、サバを取りあげ、
その後ろをついて行ったとうさんたちも、まきぞえをくったのでしょう。

※1 新道神社・・・今の新道会館のところ

消えた棺おけ

むかし、釜谷のはずれにとてもせわずきなとうさんとかあさんが住んでいました。
ある秋の日のことです。
とうさんは更木に住んでいる知りあいから、漁の手つだいをたのまれて出かけました。
その日は朝からどんよりとした空模様で、雨が今にも降り出しそうでした。
おまけにカラスがたくさん集まって「ガァーガァー」とうるさく鳴いていました。
とうさんはそんな様子を見て『今日はやけにカラスなきが悪いなあ。
このへんで不幸なことでもあるんでないかなあ』などと思いながら、
知り合いの家へといそぎました。
その日は思ったより漁の仕事も少なく、
とうさんは早ばやと手伝いをおえ帰りじたくをしていると
「とうさん待てや、ちょっくら早いが晩飯でも食っていけや」と、
呼び止められごちそうになることにしました。
そのうえお酒まですすめられて、とうさんはすっかりいい気分になってしまいました。
日も暮れはじめたので、遅くならないうちに家に帰ろうと、
ごちそうになったお礼を言って知り合いの家をあとにしました。
あたりはしだいに暗くなりましたが、
歩きなれた道をふらふらと一杯きげんで自分の家へとむかいました。
やがて、近くまでくるとどうでしょう。
隣の家の前に棺おけが置いてあり、家の中からお経をあげる声が聞こえてくるのです。
とうさんは『そういえばとなりのおばあちゃん、ここんところぐあいが悪いと、
だれかが言ってたっけなあ・・・・。もしかしたら、おばあちゃんがなくなったんだろうか。
どうりで、けさあんなにカラスなきが悪かったんだ』と思い、
かあさんに知らせようとあわてて家に帰りました。
その話しを聞いたかあさんもまったく知らなかったのでびっくりしてしまいました。
そこで二人は、急いで隣の家へ行き
「このたびは、おばちゃんがとんだことで、お気のどくでございます」と、
おくやみの言葉を言いました。
となりのかあさんは、何のことかわけもわからず、変な顔をしてじろじろと二人を見ていました。
ちょうどその時です。
死んだと思っていたはずのおばあちゃんが外からひょっこりと帰って来たから、さあたいへん。
とうさんはびっくりして、酒のよいもすっかりさめてしまいました。
そのうえ、隣の家の人からは「縁起(※1)でもない。冗談にしてもほどがある」と、
さんざん怒られ、追い返されてしまいました。
かあさんも「なにさあんたもね、ろくに確かめもしないで。いい恥かいたでしょ」と、
プンプンに怒りさっさと帰ってしまいました。
後に残されたとうさんは『へんだなあ。たしかにお経の声もしたし、棺おけだってちゃんとおいてあったのになあ・・・・・』と思い、
そのあたりを見ると家の前にあったはずの棺おけが消えてなくなっていたのです。
そんなはずないのになあと思っていると、
近くのはらっぱから「コーン、コーン」と、人をばかにしたようなキツネの鳴き声が聞こえてきました。

※1 縁起・・・・・・・よいことや悪いことのおこりそうな前ぶれのこと。

ふりまわされた とうさん

むかし、建川の奥に、とうさんとその家族が住んでいました。
そのころの建川は、まだ家も少なくひっそりとしていました。
ある冬の朝のこと、とうさんは寄り合い(※1)があって、
歩いて十分ほどのとなりの家へ出かけました。
降ったばかりの雪をふみしめながら、とうさんはゆっくりと歩いて行きました。
ところが、不思議なことに行けども行けども、かんじんの隣の家に着かないのです。
「おかしいなあ。なんぼしてもつかねえなあ」
とうさんはとても気になり、今きた道を振り返ってみると、
真新しい雪の上にとうさんの足あとがたくさんついていました。
その足あとは、道からはなれている川の近くまで、ついていたのですがなんと、
とうさんは同じところをただぐるぐると回っていただけなのです。
「雪が多くても間違うはずねえのになあ。いつも通る道だしなあ」と、
とうさんは不思議でたまりませんでした。
とうさんはその時、前にこのあたりでキツネにだまされた話しがあったのを思い出しました。
ふと、前に目をやると、隣の家はすぐそこにあり、
こんな近くまできていたのかと、たいそうくやしがりました。
とうさんは、もうみんな集まっているだろうと、いそいでよりあいの場所に行きました。
すでに集まっていた村中の人たちに、その話しをすると
「きっと、キツネにだまされたにちがいねえ」と、みんなに大笑いされました。

※1 寄り合い・・・・何かを相談するために集まること。

熊をいけどりにした兄弟

むかし、大川のずっと山おくであった話しです。
村人たちは、沢になっているところの牧草地で馬を放し飼いにしていました。
その沢のほとりで畑をたがやしながら、生活している二人の兄弟が住んでいました。
ある日のこと、二人はいつものようにのんびりと大豆の豆おとしをしていました。
すると突然、一頭の大きな熊が、馬を追いかけて二人の方に向かって走ってくるのです。
二人はびっくりぎょうてん。手に持っていた豆おとし棒で、熊に立ちむかって行きました。
ところが熊はどうしたことか、今きた道を急に引き返してしまったのです。
二人は、勇敢にも熊のあとを追いかけて行きました。
やがて谷に追いつめられた熊は、
先に追いかけてきた弟にむかって「ガォー」とほえて、襲いかかってきました。
あわてて逃げようとした弟は、運悪く足をすべらせ仰向けに倒れてしまったのです。
熊は『今だ!』とばかりに弟の手にガブリとかじりつきました。
それを見た兄は、弟を助けようと、持っていた棒で力まかせに熊の頭をポカポカとなぐりつけました。
熊は打たれたところがわるかったのか、急にばったりと倒れてしまいました。
こうして熊は、勇敢な二人の兄弟に、まんまといけどりにされてしまったのです。
熊をいけどりにした兄弟

沼の沢

札苅の幸連の山奥に『沼の沢』とよばれるところがあります。
むかし、この沼は青くすみ、まわりには草木がおいしげり、それはとても美しい沼でした。
春の雨がしとしととふっている日のことです。
村に住んでいる男の人が、雨のなか山菜をとりに行こうとして、
この沼の沢のそばを通りかかったときのことです。
ふと沼のほうに目をやると、
白い着物姿の女の人が、ほとりの石にすわって長い髪を丁寧ににとかしているのが目に入りました。
それを見た男の人は急に気味が悪くなり、山菜をとるのも忘れて急いで村に帰りました。
そして、みんなにそのことを話すと「それは、きっとそこで自殺した女の人だ」
「その女が沼のあるじになっているんだろう」などと口々に言いました。
むかし、この沼でわかい女の人が身をなげたという話しを、伝え聞いていたからです。
人々がこの話しも忘れかけたころ、何も知らない子どもたちがその沼に遊びに行きました。
子どもたちは沼に石をなげたり、まわりを飛び回ったりして夢中になって遊んでいました。
すると、目の前の大きな木に、髪が長く、白い着物を着た女の人がよりかかるように立っているのです。
子どもたちは、女の人と目があうと、ぼうぜんと立ちすくんでしまいました。
そして、急に怖くなり、夢中で家に逃げ帰りました。
家に帰った子どもたちは、それぞれ頭が痛くなったり、気が狂ったり、
そのうえ恐ろしいことには、死んでしまった子どもさえいました。
なぜこんなことがおきるのか、
親たちはわけもわからず、ひどく不安にかられて子どもにいろいろと話しを聞きました。
子どもたちははじめ口をつぐんでいましたが、
やがて「沼の沢に遊びに行って女の人を見たんだ。そのとき、その女の人と目があって・・・・」と、
話しました。
それからというもの、沼の沢に行くのをひどく恐れ、
子どもたちにも沼に行かないようにと、きつく言い聞かせました。
村人たちは、沼の主の女の人を見ると、かならず災いがあると思ったからです。
そんなことがあってから何年かが過ぎ、いつしかまた沼の沢の出来事も忘れかけたころのことです。
ある人が山菜をとりに行こうと沼の沢のほとりを通ったとき、
沼に大きな蛇がいるのを見つけました。
大急ぎで帰ってきて、みんなにそのことを話すと、
村人たちは「そういえば沼にいた女の人は・・・」
「ああ、あのひと・・・・・」
「そうだ、きっとあの女の人は、いつしか大蛇になってしまったんだ。」と、
昔のことを思い出して言いあいました。
この沼は、現在札苅の水源地になっていますが、
近寄る人も少なく今は静かでさびしい沼となっています。

老松を守った蛇

むかし、まだ木古内に鉄道が通っていないころ、
願応寺の裏側は家も少なく杉林がつづき、薄暗くさびしいところでした。
その願応寺の左奥のほうに大きな古い松の木があり、
幹の周りは、大人が二人で手をのばしてやっと届くほどの太さでした。
この松の木はよほど古いらしく、幹のところにぽっかりと穴があいていて、
そこに一匹の大きな蛇が住みついていました。
ある年のことです。いつものように夏祭りが行われ、
威勢のいい太鼓の音や盆おどりの唄が町中に響きわたっていました。
その音につられるように、蛇が穴から出てきて松の木にのぼり、
高い枝にしっぽをからめまるで踊りの唄にあわせるようにして体を動かしはじめました。
その姿は、遠くからも月明かりにボーッとうきあがって見え、
それはそれは、気味の悪いものでした。
こうして蛇は、祭りの間踊りつづけて町中の評判になりました。
それから何年かたち、そんな出来事も忘れかけたころ松の木の穴が一層大きくなり、
幹も腐り、今にも倒れそうになりました。
老松を守った蛇
そこで、この松の木を心配した男の人たちが話しあいをして
倒れる前に自分たちの手で切りたおしてしまおうと、
のこやおのを持ちより松の木を倒しにかかりました。
しかし松の木はびくともしませんでした。
それどころか男の人たちの方が、のこやおのでひどいけがをしてしまい、
ついにこの木を倒すことをあきらめてしまいました。
そんなことがあってから、だれ言うことなく「あの松の大木は、蛇がまもっているんだ」
「木を切ろうとして、ばちがあたったんだ」という話しが町中に広がって、
みんなは怖がりました。
その後、松の木の側には誰も寄りつかなくなりました。
ところが、あるひどい台風の日に、この松の木はあっけなく倒れてしまいました。
この日から老松に住みついていた蛇は、風に飛ばされたのか、
また別の木に住みついたのか、その後、姿を見た人はだれ一人いませんでした。

木古内の坊

明治のはじめ、木古内に友吉という少年が住んでいました。
この少年は、年おいた父と弟の三人でひっそりとくらしていました。
友吉は背の高さが六尺(※1)ちかくあって、とても大きな人でした。
しかし、友吉は目が不自由だったのです。
それにもかかわらず一家の大黒柱となって、
毎日毎日、村や漁場へつけ木(※2)を背負って売り歩いていました。
「つけぎー、つけぎー、すぐ火のつくつけぎー、つけぎはいらねえか」
貧しい家に育った友吉は、いつもぼろぼろの服を身につけ、
どんな雨や風の日でもつえをたよりにして、
つけ木を売ったほんのわずかなお金の中から、いつも家族におみやげを買って帰る毎日でした。
このことを知った人々は、この親孝行な友吉を大変かわいがって、
みんないつしか『木古内の坊』と呼ぶようになり、ますます友吉をかわいがりました。
そうして毎日つけ木を売り、一家を支えていた友吉ですが、
四十三才という若さで亡くなってしまいました。
木古内の坊
人々はこの孝行息子のために、小さいけれどお墓を建ててあげました。
それから数年がたち、大阪のある千万長者の家に、男の赤ちゃんが生まれました。
ところがどうしたことか、両手をぎゅっとにぎったまま開こうとしません。
父親はこの子をあらゆる医者にみてもらいましたが、どの医者もなおすことができませんでした。
『子のこの手は、一生このままだろうか』と思いなやんでいました。
ちょうどその頃、旅の占い師が来たのでこの子をみてもらうと、
「この子は、木古内の坊の生まれ変わりです。坊の墓の土をこの子の手にぬると、かならずひらくでしょう」と、言って立ち去りました。
父親はすぐ木古内という町をさがし、
人をつかって坊の墓の土をとってきてもらいその子の手にぬりました。
するとどうでしょう。あれほどかたく握っていた手が、ぱっと開いたのです。
「おお、この子の手がひらいた」と、その長者はたいへん喜びました。
こうして生まれ変わった木古内の坊は、やはり親孝行し、大富豪の息子として幸せな生活を送りました。
ここ木古内に、孝行餅と孝行羊かんが名物としてあります。

※1 六尺・・・・・・・約180センチメートル
※2 つけ木・・・・・・今のマッチのこと

子持ち石

むかし、子どもにめぐまれない女の人が札苅に住んでいました。
ある晩のことです。
その女の人の夢枕(※1)に、長いひげをはやし、白い着物すがたの老人があらわれ
「裏の山に行って、一番大きな木の下を掘りなさい。そして、そこから出てきたものを大切にまつりなさい」と、言って消えました。
朝、女の人は目がさめるとすぐ裏山にのぼり、老人に言われたとおりに大きな木の下を掘りました。
しばらく掘り続けていると、やがて長さ三十センチくらいの細長い石が出てきました。
女の人は、神様がくださったのは、きっとこの石にちがいないと思い、
さっそくこれを神社に納めました。
それから何日かたち、女の人が神社へ行ってみたところ、
おさめた石の上に大豆くらいの小さな石がついているのです。
女の人は驚き、それからは毎日神社にお参りに行きました。
そうしているうちに、女の人に子どもが授かりました。
これは、きっとこの石のおかげだろうと、大変感謝しました。
この石の話はすぐ村中に知れわたり、『子持ち石』と名づけられとても評判になりました。
それからというもの、子どものほしい女の人たちは、
この石のある神社にお参りに行くようになりました。
また、安産(※2)の神さまとしてもまつられ、
毎年一月と八月に女の人だけが集まり、ごちそうや酒、しとぎ(※3)などをそなえて
お祭りをしていました。
現在は、八月二十日だけにお祭りをしていますが、
その石からまるで子どもが生まれるように小石が増えつづけ、
今では二十個以上もついているのです。

※1 夢枕・・・・その人がねむっているときに見る夢の中
※2 安産・・・・無事に子どもを生むこと
※3 しとぎ・・・神さまにそなえる、米のこなでつくったおもち

幽霊とにおうの花

むかし、中野の橋のたもとに幽霊が出ると言ってたおばあさんがおりました。
このおばあさんは、幽霊を怖がって、いつも日の明るいうちに家に帰っていました。
ところがある日のこと、町で買い物をしているうちに日がくれてしまいました。
「さてさて、家に帰りたいんだけどこんなにくらくなってしまって、幽霊が出るんでないべか・・・・」
おばあさんは困ってしまいました。
そこで、おばあさんは町の男の人にわけを話して、送ってもらうことにしました。
おばあさんとその男の人は、連れだっておばあさんの家へと向かいました。
橋が近くなるにつれて、おばあさんは男の人にしっかりとしがみついて歩きました。
「ばあさんや、ばあさん、もう橋だが、幽霊はどのへんに出るんだ」
おばあさんは、おそるおそる顔をあげて「ほれ、あそこに・・・・」と、指をさしました。
男の人がそこを見てみると、におうの花が風に揺れているだけでした。
「ばあさんや、幽霊なんか、どこにもいねえぞ。におうの花が咲いているだけだ」と、
男の人は思わず笑ってしまいました。
そして「におうの花って白っぽいから、暗くなるとボーッと見えるんだよ」と、
おばあさんに教えました。
あーあ、おばあさんのちょっとした勘違いだったのですね。
幽霊とにおうの花

薬師山の三本杉

これは、昔まだ木古内にもアイヌの人たちが住んでいたころのできごとです。
カッケマッ(※1)たちは家で仕事をし、
オッカイ(※2)たちは毎日海に出て、魚をとって生活していました。
そのなかに、とても仲のいい家族がおりました。
ある朝のことです。いつものように、夫と息子がさかなをとりに海に出かけて行きました。
ところがその日はどうしたことか、夕方になっても二人は帰ってきませんでした。
家で二人の帰りを待っていた妻は、心配になって浜辺へ行きましたが、
そこには人っこひとり見あたりませんでした。
やがて夜になり、心配はますます深まりました。
広い浜辺を泣きながら一人でさがしまわりましたが、二人のすがたは見つかりませんでした。
それから毎日毎日、浜辺に出てふたりの名を呼び続けましたが、ついに帰ってきませんでした。
妻はすっかり疲れ果ててしまい
『夫も息子も帰ってこないのなら、このまま生きていてもしょうがない』と思い、
二人のあとをおって、海に身をなげて死んでしまいました。
この悲しい出来事は、いつしか町から村へつたわり、
『ああ、なんてかわいそうなんだろう』と親子三人の供養のために、
海の見える薬師山の頂上に、杉の木を三本並べて植えました。
ところが不思議なことに、三本の杉の木の根が一つに結びつき、根から三本の幹が出ているのです。
それからというもの、人々はこの木を薬師山の三本杉と呼ぶようになりました。
この三本杉は、本当はオンコの木ですが、ここでは三本杉の話として伝わっています。
そして今でも薬師山のお堂の裏に行くと、この木が見られます。

※1 カッケマッ・・・・アイヌ語で女の人
※2 オッカイ・・・・・アイヌ語で男の人

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