郷土資料館いかりん館
木古内町は北海道の中でも歴史深い渡島半島南西部に位置し室町時代には道南十二館の一つ「中野館」があった他、漁業林業を中心に古くから和人が定住していました。
さらに遠い昔、私たちの祖先である人々が生活していた痕跡が町内至るところにみられます。
この郷土資料館はそれらの人々が残したモノや記録を展示し、見て、触れることによって「今」と「未来」を考える契機となる願いが込められています。
普段忘れられがちな郷土の過去や文化をとおしてここに生きてきた人々の姿を見つめ直す・・・。
それは必ずや私たちの「未来」を考えることにつながります。
なぜなら・・・「今」は過去の積み重ねに他ならないからです。
開館時間
午前9時~午後4時 入場無料休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日の時は火曜日)・年末年始※冬季間中は閉館している日もありますのでお問い合わせ下さい。
住所
〒049-0455 上磯郡木古内町字鶴岡74-1電話 01392-2-4366
パンフレット
咸臨丸のものと推定されるいかり
咸臨丸は安政4(1857)年、オランダで幕府軍軍艦として建造されました。安政7(1860)年には日米修好通商条約批准のため、勝海舟ら幕府の要人を乗せて太平洋横断に成功しました。
明治維新後、輸送船になった咸臨丸は、明治4(1871)年に仙台藩白石領の片倉小十郎家臣団を乗せて北海道へと向かいました。しかし木古内のサラキ岬沖で座礁し、14年の短い生涯を終えたのです。
このいかりは昭和59年に咸臨丸が沈んだサラキ岬沖で引き上げられたものです。当時は多くの研究者から咸臨丸のいかりではないかと騒がれました。平成17年には一定の分析調査もなされ可能性が高いと評価されましたが、更なる科学的調査が必要とされ、今日に至っています。
資料館ではこのいかりを大切に保存展示しています。
木古内の年表
大むかしの木古内
マチの歴史と発展
木古内の産業の歩み
人々の生活と文化
郷土資料館へのアクセス
車・・・木古内駅より約7分
バス・・・江差行定期バスで鶴岡禅燈寺前下車、徒歩1分
アクセスマップ
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