木古内の坊
人としての熱き心を今に伝える・・・・
木古内の坊
明治になって間もない頃木古内という三百戸たらずの木古内村に一人の男の子が生まれた。家は貧しく、父は盲目で、か細い母親が頼りであった。
その名は、川又友吉。
幼くして父と同じく目を患いながらも、雨の日も風の日も付け木(マッチ)を売り歩き、自ら生活を支えていた。
誰にでも正直に、誰よりも家族を大切にどこまでも純粋な心をもって43年の人生を生き抜いたという。
その真摯な名な生きざまは地域の人々に語り継がれ今でも、「木古内の坊」として親しまれている。
「木古内の坊」の歩みは『木古内坊物語』としてまとめられている。 友吉はイワシかごに、付け木の束をぎっしり詰め、左右の手にも下げて付け木売りをはじめた。
冬が間近に迫っていたので漁場は閉ざされていたが、大がいの家で快く付け木を買ってくれた。
「いいことをはじめたなあ、一生けん命やれよ」と励まして、五厘の束を一銭で買ってくれる人も多かった。
しかし、食べ物と違って付け木は一度買うとそうすぐにはなくならないので飛ぶように売れるというわけにはいかなかった。
そこで、友吉は遠くまで歩かなければならなかった。
ボロボロのドンジャ(刺し子)に荒縄でイワシかごを背負い、雪道をのっしのっしと歩く姿は仁王様のようであった。
坊が村へ帰って来ると、悪童連がいち早く見つけて「シズ家のコンビ、カラスに団子」とはやし立てた。
子供たちにはやされても坊はニコリともせず、子供たちを無視してのそりのそりと歩き続けた。
そして、家へ帰ると背中のイワシかごをおろすより早く、ふところをまさぐって、食べずに持ち帰ったごちそうを父親に食べさせるのであった。
「おうおう、こったらにうめえごちそう、始めてだ。うめえなあ。」という父親の言葉を聞くと、友吉はその日の疲れが一ぺんにけし飛び、思わず口のあたりに微笑がわくのであった。
~中村純三著「木古内の坊」より~
語り継がれる「木古内の坊」
「木古内の坊」の精神は木古内の人々によって今も語り継がれています。43年の人生の足跡は物語として綴られ、多くの町民の篤き志によって後世に伝えていくために「木古内の坊」の像が作られました。
中村純三氏による「木古内の坊」の物語。
友吉の人生を通して、純粋な心や真摯な生き方が事に描かれてる。
現代の私たちが忘れている、大切なものを見つけ出すことができる。
多くの町民の志と浄財によって2006年に、「木古内の坊」の像が建立された。
澄み渡る津軽の海を背にして立っており周辺は小公園となっている。
道行く人に何かを語りかけているようだ。
木古内の坊物語
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