寒中みそぎ(佐女川神社)
約二百年の伝統を誇るいのちの祭り
寒中みそぎ祭り
みそぎ事はじめ
天保2年(1831年)、神社守の夢枕に「御神体を潔めよ」とのお告げがあり、目を覚ますと寒気肌さす1月15日の早朝でした。神社守は直ちに真下を流れる佐女川の氷を打ち砕き、身を切るような冷水で自身を清め、御神体を抱いて海岸に臨むと、河口に大鮫が波に打たれ、その背中の上に白衣をまとった美しい女性の姿が見えました。
「あぁ、聖なる神の使者」と信じ、御神体を幾度となく沐浴し、ふと見ると女性の姿は見えず、大鮫は川の上流へ上り小さな沼(佐女沼)に姿を消されたという。
その年から豊漁豊作が続いて村は大変賑わったという。
また、安産、交通安全の守護神としても崇められています。
以来、みそぎ祭りは伝統行事として毎年1月13日の参籠報告祭に始まり、15日の朝まで『オマニシクギダ』の勇壮な太鼓の響きとともに行修者は厳寒の中で鍛練に入ります。
そして1月15日には、厳寒の津軽海峡に面したみそぎ浜において、穢れなき優秀な4人の青年(行修者)が、別当・稲荷・山の神・弁財天の4体の御神体を潔めます。
※『オマニシクギダ』とは、大澗(オオマ)の浜にニシンが群来(クキ)たの意味で、豊漁豊作を寿(コトホ)ぐ祈りです。
寒中みそぎ祭り 行事内容
参籠報告祭
1月13日の「参籠報告祭」で寒中みそぎ祭りは始まる。白装束に包まれた清廉な4人の若者が祈りを捧げる。
水ごり(鍛練)
昼夜を問わず幾度となく行われる「水ごり」。厳寒の中、冷水を浴び、ただひたすら自己の命と向きあう。
降り積もる雪のなかで行修者の鍛練は続けられる。
出御祭
厳しい水ごり(鍛練)によって心身ともに鍛えられた四人の行修者は15日朝の『出御祭』の儀式を終えて白装束をまとい、いよいよみそぎ浜へ向かう。みそぎ
ご神体を抱いた四人の行修者は、今まさに心を一つにして身も凍りつくほどの厳冬の海へ。豊作豊漁を願う崇高ないのちの祈りはクライマックスを迎える。
水ごり
「みそぎ」のあとに再び「水ごり」が行われる。長く厳しいいのちの祈りは喜びに変わり、多くの人々と分かち合う。
水しぶきを浴びた者には限りない幸せがおとずれるという。
本祭・松前神楽
神殿にて祭りを恙なく終えたことを奉告。松前神楽を厳かに舞うなかで四人の若者のいのちの祈りは終わりを迎える。
行修者・ご神体・ご利益
別当 | 玉依姫命 (たまよりひめのみこと) |
佐女川神社の主祭神で、 初代神武天皇の母。 【ご利益】 海上安全・交通安全 縁結び・安産 |
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稲荷 | 宇迦御魂神 (うがのみたまのかみ) |
お稲荷様として知られて いる商工業・農業の神。 【ご利益】 商売繁盛・子孫繁栄 五穀豊穣・学業成就? |
山の神 | 大山津見神 (おおやまづみのかみ) |
大山に住むといわれ、山を司る神。 樹木を司る・開運 美人の守り神 |
弁財天 | 弁財天は七福神の中でただ一人の女性の神。一般的に弁天様といわれる。? 学芸と技能の神 財福の神 |
四人の気高き行修者
正面左「別当」(4年目)・右「稲荷」(3年目)後ろ左「山の神」(2年目)・右「弁財天」(1年目)
ご神体は円空作とされています。
寒中みそぎを行う若者は『行修者』と称され、心身ともに質実剛健で穢れのない男子から毎年1名ずつが選ばれます。最初の年は「弁財天」を担い、次の年から「山の神」、「稲荷」、そして4年目は最高位の「別当」の役を勤めて終わります。
みそぎはご神体を潔めることはもちろんですが、行修する若者はひとりの人間として厳しさの中に身を置き、ただひたすらいのちの崇高さを祈るのです。
佐女川神社の由来
松前藩河野加賀守源景広のご勧請により寛永2(1625)年に佐女川の辺りに祠を建て、武運長久を祈願されたのが始まりとされ、ご勧請の神様は日本の初代天皇・神武天皇の母・玉依姫の命(たまよりひめのみこと)です。当時はこの河口に建てられた神社の主祭神が玉依姫命だったことから、女神に助けてもらう川として「佐(助けるの意)女川」の字をあてたという伝承もある。
〒049-0431
北海道上磯郡木古内町字木古内155
TEL 01392-2-2135
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